『孤独』って、寄りかかるところがないのかもしれない

アタマのなか

『孤独』って、『ひとり』と同じようにとらえてしまいがちだけど、単に一人ということではなく、会社や学校などの集団に所属していても寄りかかるような場所がないことではないだろうか。

例えば、近年増えてきたフリーランスで仕事をしたり、会社員であってもコロナによってリモートとほぼ自宅などで業務を行っていると一人になることが多くなり『孤独』な気持ちになってしまう人も多くいるのではないかと思うことがある。
さらに言えば、仕事が忙しくなれば、家庭という寄り添う場所があったとしても、そこに帰る時間がなければ『孤独』の時間の方が多くなる。
学校で苦しいのも会社で苦しいのも孤独で寄りかかるところがないのでギリギリまでフラフラになりながら耐えているのかもしれない。

解決する方法は、人任せだとなかなか解決できない気がする。
だから、自分から誰かに寄りかかろうとすることが大事かもしれない。
でも、やらなきゃいけないことがあれば、その気持ちの余裕は持てないまま、イライラする。
イライラは、誰も寄せつけない。そうなると寄りかかれる人も周りからいなくなるという悪循環になる。

アレもコレも自分がやらなきゃいけないんだよ!

と言いながら、時間を作れず疲弊する人も多く見てきたし、自分自身もそうだったと思う。
だけど、仕事においては自分がやらなきゃいけない仕事なんて、本当はそんなにない気がする。
自分しかできないことといえば、娘たちの父親という役割であり、夫という妻のパートナーじゃないかなとも思う。

まじめな人ほど、自分が何とかしないとという気持ちになり誰にも寄りかかることなく『孤独』になり、ひとりで悩みながら「鬱」になっていくのではないだろうか。
「自分がやらなきゃ!」とか、「気持ちを強く強く!」と思わずに、例えばこうしたブログでもノートでも良いので、どこかへ吐き出すことも大事かもしれない。弱音を吐いたっていいし、愚痴も言ったっていいと思う。

頑張ることも大事だけど、同じくらい頑張らないことも大事な気がする。
そのバランスをうまくとることが人生の課題なのかもしれない。

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