あなたも知らないうちに『いじめ』に加担しているかもしれない

家事・育児

子どもが小学校の中学年くらいになると「いじめられたりしないかな」なんて、漠然と心配になったりする。
そんなことを思いながらも、そもそも「なぜ、いじめをするのだろうか」と考える。

自身の小学校くらいを振り返ると実はいじめに参加していた気がする。
その時の心理は「いじめているという自覚がない」という状況だと思う。
後から思えば、もしくは人の行為を見て、冷静になったときに「いじめ」だなと自覚することができたように思えるし、そもそも学校で今ほど「いじめ」について真面目に取り扱ってなかったようにも思える。

普通の心の持ち主であれば自身を客観視することができれば、いじめの自覚が出るとは思うが、そこに気づいたとしても人格的にダメな人には、何も影響はない。更に言えば集団の中にいると気づいていても制御できなくなってしまうこともある。

昔の上司も人間のクズだったので、必ず自分が攻撃しやすい人を作り、ストレス発散していた。
そういったターゲットになる人たちを守るにはどうしたらよいか?
私のケースだと、入社当初などは、やはり何も抵抗できないので、何もできなかった。
ただ1つだけ、その上司以外の有力者に私自身の実力を評価してもらえるように周りの目を上司からの報告ではなく、自分自身へ向けてもらうことで、上司の無能さを少しは認識してもらうこともでき、自分自身の発言力や影響力も強くなり、ある程度は抑制できたという経験もある。
でも、みんながみんな耐えれる耐性は、異なるし受け入れれるキャパシティも異なる。

そんな時は、思い切って「逃げる」という選択も必要だと思う。

ただ「逃げる」「辞める」のは、とても力を使うので、なかなか難しい。
そんな時は、孫子の兵法三十六計「走為上(逃げるが勝ち)」と考えれば、少し勇気が出るかもしれません。
どんな理由だろうと「次へ」という前へ向く気持ちで辞める(逃げる)ことが大事だと思います。
逃げる」はマイナスではなく、一時避難して、敵と戦える自分を作るために必要な行動だと思います。

いじめている本人は、自覚していないこともあるので「人が嫌がることをして、自分が楽しむことは正しいことなのか」を常に問いかけてほしいと思う。直接的に手を下してなくても同じことなので、人に恨まれるような人生が将来的に楽しくなるのか、相手のこともですが、自分自身のためにも先のこともちゃんと考えて行動したほうが良いと思います。

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